現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇一   直す/治す  ということ

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


なおすことについて
青野文昭

「なおす」ことをテーマに据えてから早いもので30年ぐらいたってしまった。

今まで、様々な観点から考え、様々な「修復」「なおし」を試みてきた。対象ごと、時代ごと、手段ごと、さらには震災の前後…、それぞれ違った姿、作品へ帰着していった。そもそも広い意味での「修復」は、美術のような特殊なものとは違い、日々誰もが意識的/無意識的に、あらゆるレベル(細胞、脳、日常空間…)で行う─行わないでは生きられない普段の営みでもあり、この「世界」の維持、組成そのものに直接かかわるものであるのだから、大変複雑で多義的な問題を孕んでいる。

「なおす」いとなみでは、かならず、「なおされる」対象へのある種のアプローチが要請される。そこで否応なく浮上してくる問題は、あらゆる「なおされる─もの」には、其々唯一無二の固有な文脈や歴史が宿されているということであり、一方でその完全な把握・掌握はほぼ不可能で、その「解釈」の根拠はつねに恣意的なものにならざるを得ないということだ。さらにはそもそも過去と現在、他者と自分という異なる次元をまたいでいるため、本来的に「なおされるもの」と「なおし」には絶対的な隔たりがあり続けることになる。ゆえに「なおされたもの」には、常に異なる文脈・時空が共存し、後付けはどこまでもずれ続け更新される宿命を持つ。思惑を越えるそうした多層性、逸脱のすべてを含むのが「なおす」ことの本質なのであり、むしろそこに「つくる」こととは違った、独自な可能性があるのだと思っている。

※参照「修復論」(1995年)  http://www1.odn.ne.jp/aono-fumiaki/art,s5,o.html


01-3-a  《なおす・復元・荒浜1997,3,10-9「無縁の修復」》(撮影:小岩勤)


01-3-b  《なおす・復元「水足-1」2020》


01-3-c  《なおす・復元「掘り出された頭骨 ─水の記憶、生きものの記憶─ 1」2020》


01-3-d  《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のためのメモ 2020》


01-3-e  《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のための構想図-1 2020》


01-3-f  《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のための構想図-2 2020》


関山トンネル

自分のアトリエは宮城県の西の端、山形県との境に隣接した地域にある。

西側にそびえる山々からはたえずきれいな水が流れ新鮮な空気がやってくるし、冬には大量の雪や冷気が流れてくる。そしてサルの群れやクマも、やはり西側の上流から川に沿うようにして次々と我が家へ降りてくるのだ。水源である山脈の向こう側には山形県があり、別な街や人々の暮らしがある。昔からこの険しい山々を越えて細々と交流が続いてきたわけだが、近代になって山脈に穴が穿たれトンネルができ、鉄道が通されるようになる。険しい地形に無理に無理を重ね多くの犠牲を強いての事業だった。だから仙山線も国道48号線も絶景に次ぐ絶景で、今なお多くの交通事故死があり、秋の落ち葉でしばしば電車は止まってしまう。驚くことにこの峠道の改良改善工事は100年以上たった今も現在進行中で、それほどこの峠は険しく同時に重要な幹線となっている。

山に穴をあける。神々や野生動物などいろいろなものが住まう畏敬の山の体内奥深く穴を穿ち貫いてしまう。それは、神域を傷つけることであり、半永久的な風穴をあけることであり、両側の地域にあったはずの小宇宙、あちら側とこちら側を同質にしてしまうことでもあっただろう。こうして現在に至る近現代の空間が生まれたのだろうが、新たなネットワークによって得た功利性と引き換えに失ったものはとても大きい。

なによりも「あちら側」(異界)に通じる回路の上に、「実際的な」仙山線や国道48が重ねられたために―つまり、象徴論的回路が近代的即物的回路に覆いかぶされ阻害され隠蔽されてしまう。境界領域は単なる物理的な障害、通過点にすぎなくなってしまった。

本来この関山峠とは、山形と宮城の境界であると同時に、最上藩(藻が湖)と仙台藩(千体仏)の境界であり、人界と根の国(東根)、異界と人里の境界でもあった。そして、ネットワークを張り巡らす近現代という世界が生み出された場所であり、かつ無効化されるその外側との境界でもあるのだ。

この作品では、近所で昔拾ったボロボロのドアを最初のきっかけとして始められる予定だ。ドアは文字通りこちらとあちら、内と外の間にあって境界の行き来を差配するものである。いわば近現代世界の遺品とも言える、破棄され無効になったドアの欠片から、あえて二重に重ねる様にしながら、この古くて新しい関山の境界性を掘り下げていこうと思う。

トンネルを通すとこと/鳥居を立てること/ドアを開閉すること/関所を設けて開閉すること。

他者―異質な世界に対していかに関係を取り結んできたのか?取り結ぶべきなのか?

黄泉の国の様に地中深くどこまでも続く暗いトンネル。染み出してくる水や幽霊の声。山脈の体内、両側に広がる世界の始まりと終わりの姿。近現代のはじまりと終わり。つながることの意味と怖さ。

2020年8月20日  青野文昭


青野文昭(Aono Fumiaki)

1968年、仙台生まれ、1992年、国立大学法人宮城教育大学大学院美術教育科修了。90年代から今日まで「なおす・修復」をテーマに作品発表・活動。95年ころから「表現のみち・おく」と題し風土に結び付いた文化─民俗の考察研究を継続し新たな表現論の試行・実践をこころみてきている。1997年「なおす・無縁-有縁」宮城県美術館県民ギャラリー(仙台)、2000年「アートみやぎ」宮城県美術館(仙台)、2008年「いのちの法則・生をひもとくための三つの書」足利市立美術館(栃木)、2013年「あいちトリエンナーレ2013」(愛知県名古屋市ほか)、2015年「パランプセスト―記憶の重ね書き」gallery αM(東京)、2017年「コンサベーション_ピース ここからむこうへ partA 青野文昭展」武蔵野市立吉祥寺美術館(東京)、2019年「六本木クロッシング2019:つないでみる」森美術館(東京)、「青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ」せんだいメディアテーク(仙台)、2020年「ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW─光の破片をつかまえる」横浜美術館他(横浜)。2005年 宮城県芸術選奨(彫刻)、2013年 ヴァーモントスタジオセンターフェローシップ(アメリカ・VSC)、2015(公益信託タカシマヤ文化基金・第26回タカシマヤ美術賞受賞。
web:http://www1.odn.ne.jp/aono-fumiaki/
青野文昭「ものの,ねむり,越路山,こえ」(せんだいメディアテーク):https://www.smt.jp/projects/aono_ten/


作品データ


01-3-a  《なおす・復元・荒浜1997,3,10-9「無縁の修復」》

1997/収集物、石膏、その他/15×21×5cm


01-3-b  《なおす・復元「水足-1」2020》

2020/収集物、合板、アクリル系絵具、その他/14×28×10cm


01-3-c  《なおす・復元「掘り出された頭骨 ─水の記憶、生きものの記憶─ 1」2020》

2020/収集物、合板、アクリル系絵具、その他/20×30×14cm


01-3-d  《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のためのメモ 2020》

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01-3-e  《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のための構想図-1 2020》

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01-3-f  《「関山トンネル 破棄されたドアの復元から~」のための構想図-2 2020》

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