現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇二   X教授の研究室

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


コラム
山形盆地の遺跡分布と
「藻が湖伝説」
青野友哉

「藻が湖伝説」とは、かつて山形盆地北端の村山市・東根市・寒河江市周辺が湖であり、7世紀に行基(658-749)が碁点の岩盤を開削したことで湖水が抜け、肥沃な平野が現れたという話である。この「伝説」に対して考古学的な立場から何が言えるのかを考えてみたい。(註1)

遺跡分布と藻が湖の存否については、1970年代に、湖底とされていた平野部から古墳・奈良・平安時代の遺跡(東根市本郷条里制跡・扇田遺跡・八反遺跡)が発見されたことにより、郷土史家の中で議論があったという。近年も、2011〜2013年まで行われた八反遺跡(碁点より南西に約2㎞)の発掘調査では、縄文時代早期と弥生時代の土坑や古代の住居跡が発見され(山形県埋蔵文化財センター 2019)、少なくとも約7,000年前以降は人々が生活する「陸地」であったことが明らかになっている。

「話は以上である」、で終わっては面白くない。

「巨大な湖」の存在は遺跡分布からは考え難いのだが、「伝説」自体が残っていることは事実である。ここからは考古学的手法により「藻が湖伝説」が生まれた背景に迫れるかに話を移そう。伝説誕生の背景として考えうる仮説として次の3つを挙げる。①(大きな湖はないが)小さな湖が存在した、②水田の風景が湖を連想させた、③洪水により一時的な「湖」が出現した、というものだ。

①は各時代の遺跡分布を地図上にプロットし、最も標高が低い遺跡を基準に湖の範囲を推定することができる(図1)。碁点周辺の標高80m以下には現時点で遺跡は発見されておらず、湖があったとしてもおかしくはない。しかし、湖の存在を証明するにはボーリング調査により湖底に特有な堆積物を検出する必要がある。あるいは、魚骨や貝殻を出土する遺跡が同一等高線上で複数見つかるならば、湖畔の集落との想定により湖の存在を示せるかもしれない。

②は各時代の景観を復元することで伝説が誕生する背景を検証するものである。東根市の本郷条里制跡では平安時代の条里型水田が見つかっており(柏倉1973)、以後近世まで水田範囲は拡大したと思われる。近世までの水田遺構の検出と時期の特定ができれば、時期ごとの水田面の広がりと景観を把握できる。春先に水の張った田んぼを湖に例えた可能性や、夏の緑色の稲を「藻」の湖に見立てた可能性も考慮しなければならない。

③は遺跡の堆積土層中に洪水の痕跡を見つけ、年代を特定することで洪水の規模と頻度を把握することができる。中世の東根市長瀞の中心地は長瀞本楯館跡(図1)であったが、最上川の洪水などの影響により、館と村は約1.5㎞東の現在地に移転したとされる(三浦1995)。洪水の際に出現した「湖」を実際に船で行き来したことが伝説となった可能性も考えなければならない。ちなみに、遺跡に残された災害の痕跡を研究する分野を災害考古学といい、防災ハザードマップづくりにも活かされている。

上記の3つの仮説とその検証方法は今後の遺跡の発掘調査や地質学的な調査の際の視点として提示したのであり、時間をかけて取り組むべき課題といえる。

最後に「藻が湖伝説」を通して考えさせられる点について述べたい。伝説は「湖水の水を抜き、肥沃な土地を出現させた」ことを善とする農耕社会で生まれたものといえる。しかし、山形盆地には多数の縄文遺跡が存在しており、そこには湧き水や川の水とともに生きた狩猟採集民が住んでいた。もしも、縄文時代に「古・藻が湖」が存在したとしたら、まったく内容の異なる湖水伝説が生まれたに違いない。

「藻が湖伝説」は、山形、そして東北の文化の重層性を考える良い教材である。

註1)約400万年前の日本列島の形成期には山形盆地に巨大な湖が存在しているが、これと「藻が湖伝説」には時代的な隔たりがあるため、ここでは言及しない。盆地の地形からの連想が伝説を生んだ可能性はあるだろう。

参考文献:
柏倉亮吉(1973) 『東根市西北平坦部の遺跡群―古墳から条里へ』,山形県教育委員会
三浦忠好(1995) 「長瀞殿と長瀞城」『東根市史』通史篇上巻,pp.219-223,東根市
山形県埋蔵文化財センター(2015) 『沼袋遺跡発掘調査報告書』
山形県埋蔵文化財センター(2019) 『八反遺跡第1〜3次発掘調査報告書』


碁点周辺の遺跡分布
山形県教育委員会の遺跡地図を基に東北芸工大歴史遺産学科1年生が作成。8つの時代ごとにレイヤーを分けて着色している。遺跡は複数の時代にまたがる場合が多いため、図は遺跡の中で最も新しい時代を表示している。


青野友哉(Tomoya Aono)

東北芸術工科大学准教授・博士(文学)。1972年、北海道小樽市生まれ。山形市在住。1996年、明治大学文学部史学地理学科考古学専攻卒業。2011年、北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了。2015年『墓の社会的機能の考古学』(同成社2013年2月刊)で第5回日本考古学協会奨励賞、2018年「栽培作物の特定のための栽培痕跡の検出と大根の放置実験による検証」で日本文化財科学会第12回ポスター賞受賞。著書に『北の自然を生きた縄文人 北黄金貝塚』(新泉社)など。骨考古学を専門とし、狩猟採集文化と農耕文化の接触と社会の変容過程を解明するプロジェクトを実施中。今年から山形県酒田市の生石2遺跡の発掘調査と地域における文化財の保護・活用に取り組んでいる。


作品データ


なし