現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇二   X教授の研究室

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


コラム
「藻が湖」伝説という水脈
田口洋美

山形県にはいつの時代か特定できない不思議で奥深い伝説がいくつかある。中でも「藻が湖」に関する伝説は興味深い。今から600年前とも700年前とも言われる平安時代のはじめ頃には山形から寒河江、東根、村山、大石田へと連なる巨大な湖があったとする伝説である。

湖の東側が東根、西側には西根と呼ばれる地域があったという。この藻が湖については様々な人が謎解きに挑み、その湖水面が標高90メートルから100メートルのラインで広がっていたと推論を展開している人もある。

村山地域の低地部、特に山形盆地は豪雪地帯の山形県内にあって若干積雪が少ない地域としても知られている。その若干標高の低い地域に南北に連なる巨大な湖があったという。湖の岸辺には葦が生い茂り、藻が湖の一面を覆うようにあったことから藻が湖と呼ばれたらしいが、又一説には「藻が湖」が転じて「最上」という地名が生じたという説すらある。さらに、巨大な湖の周辺には「谷地」があり「潟」があり、山の中の潟ということから山形となったと語る人もある。いずれも真偽のほどは不明であるが、どうもこの一帯には最上川の流れと深く関わりながら、巨大な湿地帯があったと考えてみると合点のゆく事々が目に耳に入ってくる。

山形市の北西、中山町、寒河江市、天童市との境に位置する「七浦」もまた内陸地域の地名としては興味深い。「七浦絞り」という織物があったという古話を耳にするが、あまり資料がない。しかし、七浦一帯はその地名のごとく、ひとたび大雨が降れば河川が氾濫し、たちまち浦が出現する。最上川と須川、そして馬見ヶ崎川が合流する山形盆地の中央部には中野目、矢野目、塚野目、大野目、北目など目潟と関わる地名が点在している。もし仮に伝承で語られるように大石田付近の最上川の狭い河道の拡幅が誰かの指導の下に行われ、流水を流れやすく加工したとするなら、それ以前には氾濫原の最上川が荒れ狂うたびに湿地や潟、浦が現れたとしても何ら不思議はない。そしてまた、この伝説がまんざら荒唐無稽な話ではなくなってくる。

実は、山形盆地周辺には70以上のため池が点在している。このため池の歴史については資料が少なく全体像を歴史の中に復元するためにはかなりの難しい作業を経なければならないであろうが、この豪雪山岳地帯の最上川という大河に沿った盆地周辺のため池とともに山形のもう一つの顔、つまり豪雪地帯にあって水資源が必ずしも豊富ではなかった過去が見えてくるかも知れない。それは多分、蔵王山系や出羽三山という奥羽山系の火山地帯と朝日・飯豊という隆起山地からなる複雑な地殻構造が生み出す伏流水、地下水系の流路との関わりが見えてくるに違いない。藻が湖の伝説をひもとくことは、もしかすると山形のもう一つの水脈を発見する旅の始まりとなるかも知れない。


田口洋美(Hiromi Taguchi)

1957年茨城県生まれ。山形市在住。2005年東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻博士課程修了。博士(環境学)。1990年3月、「ブナ林と狩人の会:マタギマタギサミット」を発起。昨年第30回の記念大会を秋田県北秋田市阿仁で開催。同会の主宰幹事を務める。1996年、任意団体狩猟文化研究所を設立、同代表を務める。1997年、日本民具学会研究奨励賞、2000年に駿台史学会選奨などを受賞。著書に『越後三面山人記 ─マタギの自然観に習う─』『マタギ ─森と狩人の記録─』『クマ問題を考える ─野生動物生息域拡大期のリテラシー─』など。現在では野生動物と人間社会の相克について歴史的プロセスから分析、野生動物保護管理問題に深く関わっている。


作品データ


なし