現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇二   X教授の研究室

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


ヤマガタダイカイギュウについて

約900万年前、山形盆地全体は海藻が繁る浅い海で、ヤマガタダイカイギュウはそこに暮らしていた。学名をDusisiren dewanaといい、海牛目ジュゴン科ドシシーレン属に分類される哺乳類で、体長は約3.8mと推定されている。すでに絶滅しているが、現生のマナティーやジュゴンに近い哺乳類である。この系統の最後の末裔はベーリング海に生息していたステラーカイギュウで、体長は10mにも達するが、18世紀に人間によって滅ぼされている。

このヤマガタダイカイギュウの化石が、昭和53年(1978)8月に大江町左沢の最上川で発見されている。この年は異常渇水で岩盤が露出しており、付近で遊んでいた小学生2人が動物の骨らしきものが埋まっているのをみつけ、報告を受けた山形県立博物館によって発掘調査がおこなわれた。当初はクジラの化石と思われていたが、クリーニング作業などを進める中で昭和54年(1979)に海牛の新種と判明し、その大きなものなので「大海牛」と呼ばれることとなった。その後昭和57年(1982)に、「ヤマガタダイカイギュウ」という和名が付けられた。昭和60年(1985)には骨格レプリカが制作され、現在も山形県立博物館に常設展示されている。発掘地である大江町では肉付けされた復元模型も制作され、当初は町中央公民館に、現在は町民ふれあい館に展示されている。昭和61年(1986)に大江町では愛称が公募されて「プクちゃん」と名付けられ、内陸部にも関わらず、海に住む生き物が町を代表するキャラクターとして町民から親しまれている。


山形県立博物館にあるヤマガタダイカイギュウの骨格レプリカ(撮影:草彅裕)

山形県立博物館にあるヤマガタダイカイギュウの化石(撮影:草彅裕)

大江町ふれあい交流会館にあるヤマガタダイカイギュウの実物大復元模型(撮影:草彅裕)


作品データ


なし