記憶の水がめ
2020年8月17日〜26日
秋山さやか
─ 以下、2020年8月24日月曜日に記した文章
(この時点、私の作品はまだ制作過程にある。あと6日で産声を上げる。だからこの言葉は、「胎動」のようなものである)
溢れ流れる日々の記憶と 藻が湖の開削を重ねる
私の当初の山形ビエンナーレ制作プランでは、他者の記憶に関わり現地の人々と交わって、作品を進めるつもりでいた。だが、このコロナ渦で人との距離の取り方が大きく変わってしまった。また、今年の展示場所も文翔館では無くなり、さまざまな意味で“アウトライン”を引き直さざるを得なくなった。顧みれば、私は、己の実体験をすくい取って作品に昇華する作家。今回2020年は先ずは、私個人のフィルターから、藻が湖をなぞってゆく方が、自然なかたちを描けるように思った。
近年の私の作品は、「記憶」が主軸であり、零れ落ちるそれらを、愛おしく苦しくかき集め、まるでタイムカプセルの中に留めるように制作して来た。そしてこのところ身内の病に直面し、記憶の満ち欠けについて更に考えさせられている。
人は、毎日のこと全部を覚えて蓄積していたら、脳がオーバーヒートしてしまうので、必要ないと判断された記憶は消されて行くと聞いたことがある。それは水を抜いてゆくみたいで、私には、藻が海を開削する姿と重なる。藻が湖伝説の中で私の作品の糸口は、藻が湖の記憶と水の満ち減り。私の記憶も、日々、じゃぶじゃぶと溢れ流れてゆく。だが、それは完全に消え去ってしまうものなのか、それとも海馬のどこかにひっかかっているものなのか?
『記憶の水がめ』。2020年段階の山形ビエンナーレの私の制作は、それについて追求してゆきたい。
いま ─2020年8月24日─ 私は、山形に居る。
8月17日から入り今日で丁度1週間めの月曜日。毎日、日記のような言葉を描いている。そこには、感想も極力残さず、何の特別な事柄もない、日々の凡庸な繰り返しのみをただただ綴り続けている。ルールとしては、下書きはしない、1日以上経過してから記す、即ち記憶がそろそろ薄れ始める頃合いを見計らう。綴り始めるとまるで自分がいなくなって、ひたすら文字を紙に写し出すためだけの道具になったようにも感じる。
画材は日々の生活の中で見つけたものを使っている。食べた後の割り箸や容器、温泉水、購買部の絵の具、筆、木の枝、石、松ぼっくり。支持体には「うす」と呼ばれる梱包用の極薄紙を用いている。制作初日、私のアトリエの隣にこのビエンナーレの象徴とも言える「風神さん雷神さん」がやって来た。この2体の仏像が纏っていた梱包の紙が、まるで剥がれ落ちた細胞のような、神秘的なカケラに見え、ここへ描くのがしっくり来ると直感したのだった。
この作品には、10日間の私を綴り続けるつもりである。そして溜まった言葉たちは、最終的に水で流して溶かしてしまうー記憶が薄れると同じようにー藻が湖の開削のようにー。1枚目の日記は小川につけてみた。2枚目は蔵王の温泉水をかけてみた。水なのに焔に包まれたようになり、紙はくちゃくちゃになってしまった。けれども私には、そのさまが、日々の剥がれ落ちた細胞が、羽衣のように姿を変えた瞬間のように感じたのだった。それぞれ10枚に10通りの濡らし方をこころみようと思う。後は雨を待っているが、あいにくカンカン照り・・・でも、願わくば、雨を乞う。
今日は8月24日。のこり数日、私の中の山形の『記憶の水がめ』、じわじわ生み出す。私は記憶の湖に足を浸し、溢れるその瞬間を待っている。
(撮影:秋山さやか)
03-3-a 秋山さやか《記憶の水がめ 2020年8月17日〜26日》(撮影:草彅裕)
秋山さやか(Sayaka Akiyama)
1971年兵庫県生まれ、神奈川県在住。2001年女子美術大学美術研究科修士課程修了。さまざな土地で生活し(これまでに国内外約60 ヶ所)、そこでの行動と記憶をもとに「時間のあしあと」を探ってゆく制作を続けている。おもな受賞歴に、「フィリップ モリスアートアワード」大賞(2000年)、「ダイムラー・クライスラーグループ アート・スコープ2001」受賞(2001年)、「第二十一回 タカシマヤ美術賞」(2010年)受賞、「日産アートアワード2015」7ファイナリスト選出(2015年)。近年の主な展覧会に、2020年『米子をほどく 2009-2019』秋山さやか展(米子市美術館/鳥取県)、2016年「さいたまトリエンナーレ2016」(市民会館おおみや旧地下食堂/埼玉県)、2012年「始発電車を待ちながら」(東京ステーションギャラリー)、2008~2010年「Great New Wave: Contemporary Art from Japan」(ハミルトン美術館・巡回 グレーター・ビクトリア美術館/カナダ)、2006年「ベルリン―東京」展(ベルリン新国立美術館/ドイツ)、など。主な作品収蔵先に、東京都現代美術館、サンドレット・レ・レバウデンゴ財団美術館(イタリア)など。
web:http://sayakaakiyama.com/
撮影:Hideto NAGATSUKA