行基作とされる仏像について
東根市に伝わる藻が湖伝説には、奈良時代の僧侶である行基(668-749)が登場する。それはこうした話である。かつて村山地方は大きな湖であった。天平年間(729~749)に行基が山形に行脚した際にその湖を見て、碁点を開削して水を抜き、広大な耕地をつくった。これに前後して東根の薬師寺を開山した。
東根市の薬師寺は天平9年(737)開山とされ、日塔薬師原にあったとされるが、後年移動して現在は花岡(東根市本丸東)にある。薬師寺には行基作と伝わる木造薬師如来坐像が安置されている。この像の制作年代は美術史的見解から10世紀後半と考えられており、また近年おこなわれた放射性炭素年代測定からも10世紀頃と推定でき、両者の見解は概ね一致している。この年代は行基の活躍した年代とは合わず、行基が造ったとはいえないものの、県内屈指の古い年代の像であり、薬師寺の持つ歴史を現在に伝える遺品といえる。
薬師寺から東方の山中に位置する自牧寺の沢渡観音堂にも、行基作と伝わる木造十一面観音菩薩立像が安置されている。元々は石山寺にあった像で、行基によって山形市の立石寺と天童市の若松寺の観音像と同じ木から造られたとされる。また石山寺が火災に遭った際に火中から像を運び出し川の近くに置いたが、大雨による増水で流され下流で発見された。その場所は留場といわれそこにある稲荷神社に安置されたが、その後の廃仏毀釈の混乱を経て現在の上ノ台の沢渡観音堂に安置されることとなった。こうした伝承を持つ。十一面観音菩薩立像は近年おこなわれた放射性炭素年代測定から11世紀の制作と考えられるが、形状や構造に9~10世紀頃に制作された像と共通する古風な部分があり、元々あった10世紀頃の像を写して現在の像が制作されたことが想定されている。
薬師寺、沢渡観音堂といった東根市の山麓の寺院には、行基が活躍した時代からは下るものの実際にこうした県内屈指の古い仏像が遺されており、それとともに行基に仮託した伝承が寺院や地域に伝わっている。
薬師寺薬師堂 木造薬師如来坐像
沢渡観音堂 木造十一面観音菩薩立像