現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇四   藻が湖伝説

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


長瀞猪子踊りについて

東根市長瀞に伝わる長瀞猪子踊りはシシ踊りといわれる民俗芸能で、東根市無形民俗文化財に指定されている。「シシ」は猪や鹿やカモシカなどの野生動物を意味し、それらをモデルとした頭を着けて踊る。通常、シシは獅子や鹿子と書くが、長瀞猪子踊りでは猪子としている。毎年4月に長瀞の長源寺で南無阿弥陀仏の名号を授かり、日枝神社と松沢地蔵尊で演じられている。

長瀞猪子踊りを含めて、村山地方のシシ踊りは山寺をルーツとする山寺系シシ踊りと分類され、多くは山寺の開山にまつわる伝説を由来としている。それは、山寺は狩人の磐司が支配していたが、円仁が立石寺を開山するにあたり磐司を教化し、山寺を明け渡させ、また動物の殺生をやめさせた。一山が殺生禁止になったので、動物たちは磐司と円仁に感謝して踊ったのが山寺のシシ踊りの起源である、というものである。山寺系シシ踊りはこうした由来を持つため、伝統的に旧暦7月7日に山寺に踊りを奉納しており、近年は8月の磐司祭りに長瀞猪子踊りを含めた各地の団体が集まり奉納している。

長瀞猪子踊りの始まりを記した縁起には、藻が湖伝説が登場する。円仁は山寺を開山する際に、山鹿の先導によって山に登った。そこで村山地方が湖であるのを見て、碁点の開削工事をおこなって水を抜き、広大な耕地をつくった。長瀞は、湖の中で最も泥土深い所であったことからその名となった。人々は円仁に感謝し、開山に際して鹿が先導したことに因み、獅子舞を組織して山寺に踊りを奉納した。この縁起では、長瀞猪子踊りの始まりに加えて、長瀞という土地や地名がどのようにできたかも語られている。長瀞猪子踊りにはこうした由来を反映した演目もあり、「後の歌切」に「この土地は 昔湖なりけれど 今は豊かな五穀実れり これも皆 大師のご恩なりければ 山寺山に参る猪子舞」という歌詞がある。長瀞猪子踊りの縁起は、磐司に関わる伝説を基調としつつ、そこに円仁が碁点を開削した藻が湖伝説が加えられて成立しているといえ、他の地域のシシ踊りにはない由来となっている。


長瀞猪子踊り獅子頭(撮影:草彅裕)


作品データ


なし