現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇四   藻が湖伝説

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


長瀞想画と東北画について

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藻が湖伝説のフィールドワークで、湖の最深部だったという長瀞という地域を訪れた時、思いがけず「長瀞想画」というものに出会いました。

明治期の美術教育において行われていた、お手本そっくりに真似て写させる図画教育のことを臨画教育と言います。当時は現代のような児童画における発想力や構想力を重視するのではなく、子供たちの手の技術力や形態把握能力の向上などに力点が置かれていたことがわかります。

その後、フランス帰りの画家、山本鼎が「自由画教育」を提唱し、大正デモクラシーの潮流とも相まって全国的に広がることになります。自由画教育運動については様々な論争や時代背景の中で下火になっていくのですが、長瀞小学校においては、昭和2年に赴任した佐藤文利、昭和4年に赴任した国分一太郎の出会いによって、先進的な想画教育と綴り方教育が融合された形で継続されます。その成果は想画教育日本三大校の一つとして大きな注目を受け、子供たちは身の回りの生活や出来事に目を向け、気づいたこと、感じたこと、匂い、温度、光、それらを素直に表現する「生活画」の数々が生まれることになったのです。

現在も900点に及ぶ想画作品が東根市の有形文化財に指定され、地元の有志で組織する「長瀞小学校想画を語る会」によって長瀞小学校に大切に保管されています。

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「東北画は可能か?」は、2009年に東北芸術工科大学で、東北における美術を考える活動としてスタートしたプロジェクトです。日本画コースと洋画コースで教員を務める三瀬夏之介と鴻崎正武を中心に、学科・コース・学年を超えた在学生、卒業生、展覧会で出会った作家たちを中心に活動を続けています。東北画といってもそれは旧来の日本画のように画材や制度に規定されるものではありません。日本の東北という私たちが縁あって「今」住む「ここ」という場所の歴史的な成り立ち、それと自身の関係性を読み解き、他者に向けて表現すべき必然性のある素材、技法を再選択させる。つまり東北画の「東北」には様々なものが代入される可能性があり、将来的にどこに住もうが、何が起きようが力強くものを生み出していって欲しいという私たちの願いでもありました。

長瀞想画と出会った時に、自身の生活環境を丁寧に眺め、その成り立ちや世界への感受性を元にイメージを押し広げていく姿勢に「東北画は可能か?」と同じようなスタンスを感じました。

今回はコロナ禍の影響で実現することが叶わなかったのですが、いつの日か、実際の空間で「長瀞想画」と「東北画」が、時空を超えて出会う場に立ち会いたいと願っています。

東北画は可能か? Twitter:https://twitter.com/touhokuga
東北画は可能か? Facebook:https://www.facebook.com/touhokuga/


作品データ


04-10-a 小野朝男《早春の野辺》


04-10-b 黒田寛弥《六月の自然》


04-10-c 植村宗十郎《ほたるがり》


04-10-d 黒田寛弥《勉強》


04-10-e 塩野藤夫《味噌摺り》


04-10-f 斉藤宗助《晴れた日》


04-10-g 鈴木彦太郎《脱穀》


04-10-h 後藤正男《年貢納めて乾杯》


04-10-i 児玉マツエ《上げ手まり遊び》


04-10-j 森谷富雄《お婆さんの顔》


04-10-k 佐々木綾子《レイヤー》


04-10-l 渡辺綾《山の神さま》


04-10-m 小堀実穂《ウゴメク》


04-10-n 鴻崎正武《鴻草》


04-10-o 狩野宏明《天狗飯七》


04-10-p サイトウケイスケ《nuance》


04-10-q 青木みのり《霧海の日》


04-10-r 近江谷沙里《強風ハローごはん》


04-10-s 多田さやか《色即是空》


04-10-t 高橋洋一《ここにいるよ》