現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇四   藻が湖伝説

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


藻が湖ヘテログラフィー
尾花賢一+石倉敏明

「藻が湖伝説」は山形盆地版のほか、東北各地に複数の異なるヴァージョンが存在する。それらはスタンダードな歴史伝承から逸脱し、各地の生態系や災害等の出来事を自在に織り込んでいる。「藻が湖外伝・序曲」は、蛇・蟹・亀などの登場するそうした各地のヴァリエーションを収集し、アジアや山形に積層する伝承や遺物と関連付けながら、新たに創作したイメージの複合である。

山形盆地は文化人類学者・米山俊直によって提起された「小盆地宇宙」の典型例として、人間集団の集住するコンパクトな地勢の中に、数千万年に及ぶ時間の中で形成された地質学的な現実や、鳥獣虫魚や微生物といった無数の存在どうしの相互作用を含み、人間と非人間の総体によってダイナミックに展開する宇宙論を形成してきた。このような全体運動の中で、土と風、火と水、人と機械、神仏と異形の者たちによって織り成される「山形曼荼羅」の断片から、テキストと造形物による「藻が湖ヘテログラフィー」の物語が生成する。


04-11-a 尾花賢一+石倉敏明《亀男》


04-11-b 尾花賢一+石倉敏明《蟹女》


04-11-c1 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ① 原初湖水》


04-11-d 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ② 異形土器》


04-11-e 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ③ 女神土偶》


04-11-f 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ④ 泥土運搬》


04-11-g 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ⑤ 収穫機械》


04-11-h 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ⑥ 騒音狂車》


藻が湖外伝 序曲

かつて山は、湖であった。山々の間に何千もの「藻が湖」がひろがっていた。火山が爆発し、溢れ出す溶岩が、何度も入江の形を変えた。雄大な丘は無数の岬であり、魚たちが餌を求めて入江を泳いでいた。地下水の湧く湖底には藻類が茂り、貝やエビが浅瀬に住み着いた。湖を泳ぐものは、鰭のある魚だけではなかった。蛇や亀、優美なカイギュウがその湖をゆったりと曳航し、河口の湿地にはナマズやウナギが棲みついた。その頃、まだ人間は存在していなかった。

最初の人は、空から舟に乗って現れた。彼らはまだ家を持っておらず、舟の中で暮らしていた。人は気の良い魚たちを騙して、釣り上げようとした。魚は人をそそのかして、深い湖に誘い込んだ。それから、人と生き物たちは互いに騙しあうようになった。最初の人は、陸地で生きて行くために舟を降りて、水辺に小屋をつくった。彼らは先住していた亀・蛇・蟹と結婚し、やがて氏族をなして、作った土器を交換した。亀の氏族、蛇の氏族、蟹の氏族が生まれ、それぞれ藻が湖に浮かぶ島、岬の岸壁、水源の沢地を住まいとするようになった。

あるとき、亀と蛇の戦いが起こり、蛇の氏族が勝利した。負けた亀の氏族は、山の向こうの土地へ避難した。その山はのちに亀割山と呼ばれた。その後、蛇と蟹の戦いが起こった。蟹の氏族が蛇を打ち負かすと、湖の水は勢いよく山から溢れ出した。多くのものたちが洪水に飲み込まれ、世界中が泥水で覆われてしまった。一匹の亀が湖に潜り、水掻きについた湖底の泥を地上にもたらすところから、世界の再建がはじまった。三つの氏族の生き残りは、舟の形をした丘に逢着し、亀の運んだ泥を捏ねて、精霊の土偶をつくった。

広大な湖の水が引いた土地には、いくつもの曼荼羅状の盆地が生まれた。亀の氏族が残した盆地には、大きな川が残されていた。この川は、幾つもの山を縫って、遠い西の海まで生命の水を届けた。蛇が逃げた道は、蛇行する山襞となった。蟹の氏族の子孫は、行基という僧と共に、広漠とした大河の周囲に広がる沼地を干拓し、豊かな田畑と美しい寺院をつくった。かつての湖面には、青々とした広大な水田が生まれ、秋になると黄金の稲穂が盆地を覆い尽くした。

後世、円仁という僧が死者の姿を絵馬に描くと、霊魂は霊馬によってハヤマに運ばれた。浄められた死者はさらに空を駆けて、雲の上の山々から盆地を見守るようになった。蟹の氏族の生き残りは、稲穂を刈り取る鋼鉄の車を乗りこなした。農民の子どもたちが鋼鉄の馬や牛に乗って競争すると、水田の稲穂は激しく揺れ始め、水辺の記憶を呼び覚ました。その黄金のしずくは川を下り、太陽を呑み込んだ海に溶ける。死んだ祖先は毎年盛夏の季節に、鳥や蝶や蜻蛉の姿に化けて、里へ戻ってきた。生者は空から訪れるものたちに甘い水を与え、短い再会を楽しむのだった。


尾花賢一(Kenichi Obana)

1981年群馬県生まれ。秋田県在住。2006年筑波大学芸術研究科洋画専攻修了。主な活動に『表現の生態系』(2019年 アーツ前橋・群馬)、『真鶴まちなーれ』(2019年 神奈川県真鶴町)、個展『森の奥、そして』(2018年 hpgrp GALLERY TOKYO・東京)、『地域アートプロジェクト 尾花賢一』(2019年 アーツ前橋・群馬)、『いつかくる日/ 村山瑠璃子・保坂剛志・尾花賢一 』(2018年 ココラボラトリー・秋田)、『ART OSAKA 2018』(2018年 HOTEL GRANVIA OSAKA・大阪)、『かみこあにプロジェクト』(2018年 秋田県北秋田郡上小阿仁村八木沢集落)、個展『New perspective』(2017年 Gigantic Brewing アメリカ・ポートランド)、六本木アートナイト(2016年 東京ミッドタウン・東京)。個展『Tokyo Wonder Site Art Cafe WINDOWS』(2016年 トーキョーワンダーサイト アートカフェ・東京)など。Tokyo Midtown Award 2015 優秀賞、LUMIN meets ART AWARD準グランプリ受賞。人々の営みや、伝承、土地の風景からドローイングや彫刻を制作。 虚構と現実を往来しながら物語を体感していく作品を探求している。
web:http://www.obanakenichi.com/


石倉敏明(Toshiaki Ishikura)

芸術人類学者。秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻准教授。明治大学野生の科学研究所研究員。これまで、ダージリン、シッキム、カトマンドゥ、日本の東北地方などで聖者や山岳信仰、神話調査を重ね、環太平洋圏における比較神話学の研究を進めてきた。並行して、数万年に及ぶ人類の営みにおける芸術の可能性を追究し、多様なアーティストと旅やフィールドワークをともにしながら、アーティストの創造と自身の神話研究を交差させている。主な展覧会に第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」(2019年)、「表現の生態系」(アーツ前橋・2019年)、「精神の北へ vol.10」(ロヴァニエミ美術館・2019年)。共著に『Cosmo-Eggs | 宇宙の卵—コレクティブ以後のアート』(torch press・2020年)、『Lexicon 現代人類学』(以文社・2018年)、『野生めぐり 列島神話をめぐる12の旅』(淡交社・2015年)など。


作品データ


04-11-a 尾花賢一+石倉敏明《亀男》

2020/ジェルトン、アクリル絵具/54.5×20×29cm


04-11-b 尾花賢一+石倉敏明《蟹女》

2020/ジェルトン、アクリル絵具/89×17×32cm


04-11-c 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ① 原初湖水》

2020/インク、ワトソン紙/78.8×54.5cm


04-11-d 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ② 異形土器》

2020/インク、ワトソン紙/83×71.5cm


04-11-e 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ③ 女神土偶》

2020/インク、ワトソン紙/73.2×52.6cm


04-11-f 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ④ 泥土運搬》

2020/インク、ワトソン紙/71.5×83.4cm


04-11-g 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ⑤ 収穫機械》

2020/インク、ワトソン紙/72×43.2cm


04-11-h 尾花賢一+石倉敏明《藻が湖異録 ⑥ 騒音狂車》

2020/インク、ワトソン紙/46.5×75.4cm