現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇五   祈りの絵馬と山寺と

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


行啓殿について
志村直愛

仙山線が山寺駅のホームに差し掛かると、わかっていても車窓に広がる風景にいつも釘付けになる。山寺立石寺…山麓から山頂まで実に標高差160mもの崖縁に、石段に沿って建ち並ぶ幾つもの堂宇が、季節によって様変わりする木々と岩肌の間に配され、さながら曼荼羅屏風のように見えるからだ。

その山上、最も奥深い位置にある奥の院から、崖下を眺める五大堂に向かう道沿い右手に「記念殿」はひっそりと建っている。普段は雨戸で閉じられた6m四方ほどの小建築だが、これが今から112年前の明治41年9月18日にこの地を訪れた、時の東宮こと皇太子殿下、後の大正天皇の行啓のために建てられた記念建築物であることを知る人は意外に少ないのではないだろうか。

斜面地に建ち、道からの引きがないので建物の全貌は見えにくいが、入母屋の屋根を載せた木造平屋で、一見お寺の堂宇のようでもあるが、実は由緒正しい皇室建築である京都御所紫宸殿を手本としたものとされている。内部は、床の間を持つ畳敷きの8畳間に、半間幅の廊下が廻るシンプルな間取り。しかし、周囲の雨戸を開ければ、擬宝珠のついた高欄越しに三方に展望が開け、北に奥の院、東に胎内潜り、南に麓の馬形集落や二口峠を遠望できる、境内屈指の絶景ポイントでもあるのだ。東宮は本坊から自らの脚でここまで辿り着いて休憩、昼食を摂り、後にもう一度訪れてみたいとその感想を残したとされる。

東宮の東北巡啓にあたり当時の地元、東村山郡山寺村の要請が叶い、行啓に先立って山形から山寺までの橋や道路が急遽一気に整備されたり、現在の急峻とはいえ登りやすい石段が整えられたのもこの時である。行啓の直後、東宮滞在のわずか75分間だけのために造られたこの建築が特別に公開されると聞いて、県内外から万単位を数える多くの人々が見学に訪れた。その後100年近く、毎年来訪日には記念行事が行われるなど、行啓と記念殿は、現在の観光スポットとしての山寺の基盤を造り、発展を助けてきた。そもそも行啓のためだけに建てられた単体の建築が、明治以来そのままの形で残る例は我が国でも稀で、全国的にも貴重な存在でもあるのだ。

平成21年、地盤の緩みから解体を検討する調査が行われるのを機に、改めてその建築的価値が再評価され、解体予算は一転、保存整備に充てられることとなり、整備竣工後、記念殿は山形市指定の有形文化財となった。調査に入った折、長きに渡り閉ざされていた室内には、東宮が使った檜の卓に洋風の椅子、絨毯や御簾などがそのまま残され、100年の時流が封印されているかのようであったが、その価値が再認識され、地元を中心とした協議会の協力で、地域が誇る大事な建物を後世に伝える保存活動が進められることになったことは、調査を担った研究者として実に嬉しいことである。

しかし、この山形の地には、まだまだこうした誇り高い名建築がたくさん埋もれているような気がしてならない。今当たり前にある建築物も、歴史の流れがその価値を次第に高めていくものである。要は今を生きる私たちが、その価値に気づき、大切に守り続けるという意思や気概という名のバトンを、後世に着実に渡していくことができるかどうかにかかっているのだ。山寺の記念殿は、明治以来五つの時代を越えてバトンタッチを実現できた誇るべき建築物なのである。

ところで、この立石寺。麓の本坊前の標高は246m、山上の奥の院前が400.6mだから、その標高差は154mを超える。ちなみに、山形駅西口の標高は130.5m。駅前に建つ高層ビル霞城セントラルの高さが114.65mなので、ビル最頂部の標高は合計で245.15mとなる。つまり、車や電車で移動しても実感しにくいが、立石寺の入り口は、霞城セントラルの頂上とちょうど同じ高さにあるのだ。もし、山形盆地に藻が湖が広がっていたとしても、おそらく境内は余裕で水面より上に位置していたのであろう。

寺を開いたのは、他でもない円仁さまこと慈覚大師である。立石寺は京都と比叡山の位置関係に習い、町の北東、鬼門の方位にその境内地を選んだのかと思っていたが、ひょっとすると、延暦寺から琵琶湖を眺めるように、立石寺から藻が湖を見下ろす位置にその地を選んだのかもしれない。だとすれば西方に広がる湖面に夕陽が輝く情景は、さぞや美しかったに違いない…。


行啓殿


志村直愛(Naoyoshi Shimura)

1962年鎌倉市生まれ。東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科教授。父親の転勤で九州から北海道まで全国に住み、地方文化を体感。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程単位取得退学。芸術学修士。日本近代建築史、都市景観、歴史を活かしたまちづくりを専門とし、県内大江町、長井市を国選定重要文化的景観に導き、山寺ホテルをはじめ山形市内の登録文化財調査を担当。故郷である鎌倉市景観審議会会長、横須賀市、大磯町などの歴史都市の景観問題、市民協働型のまちづくりに携わる傍、東京ウォーキングマップ、世界一受けたい授業などのテレビ番組に出演、都心のカルチャー教室で建築や町の歴史を説く散歩師の異名をとる。東京本郷在住、山形在勤にして、常に東奔西走の日々を送っている。


作品データ


なし