現代山形考〜藻が湖伝説〜


〇七   日本のかたち

最終更新日:二〇二〇年九月一一日

最終更新日:2020年9月11日


小盆地宇宙
三瀬夏之介

この絵には「日本の絵」というタイトルをつけた。ブヨブヨとだらしないボディを晒しながら漂流するのは、逆さになった日本列島(註1)だ。北海道や佐渡島、変形した九州などに列島の記憶が未だ残る。右画面の静岡と思しき場所には、富士山らしき日本の象徴が画面を突き破るようにそびえるのが見える。それでは左画面の大きな山は何かというと、私が現在住まう山形市の千歳山だ。ここには端山信仰(註2)という生者と死者に関わる風習が残る。そう、この図像は、私という主観によっていびつに変形させられた日本地図なのだ。その日本地図のある一点から同心円状に波動が放射され、まるで日本国旗のような表情を見せる。絵の中にはこの列島から脱出した最後のひとりが乗る小舟が描かれている。


07-1-a1  三瀬夏之介《日本の絵 ─らせん─》

07-1-a2  三瀬夏之介《日本の絵 ─らせん─》 太田市美術館図書館での展示風景(撮影:吉江淳)

07-1-a3  三瀬夏之介《日本の絵 ─らせん─》 部分(撮影:吉江淳)


註1) 環日本海・東アジア諸国図
ここに日本列島が逆さまになった一枚の地図がある。「環日本海・東アジア諸国図」と名付けられたこの地図は富山県が発行しているもので、中国やロシアなどの大陸諸国に対して、日本の地理的な重心が首都東京ではなく、富山県沖の日本海にあるということが、日本列島を反転させるという最小限の手つきだけで強く示されている。この地図を眺めていると日本列島に住まう多くの人々がある固定概念に縛られているということがよく分かる。日本海と呼ばれているものは大陸から見ればただの内海に過ぎず、この国は中国、韓国、北朝鮮を塞ぐ大きな龍の形をした蓋のように見える。まるで湖のような日本海から、北は樺太・サハリンへ、南は南西諸島・台湾・フィリピン・マレーシアへとなだらかに繋がる群島の姿を神の視点で眺め終わった頃には、もうこの場所が日本であると断定すべき境界線はどこにも見当たらず、私にとっての「日本のかたち」が、渚に打ちつけられる波のようにあやふやになり、クラクラとめまいがするのだった。(この地図は富山県が作成した地図の一部を転載したものである)


07-1-b  三瀬夏之介《千歳》

註2)
人々の住む里の近くあり、親しまれる美しい山が「端山」と呼ばれ、里人は死者をその山の麓に葬った。肉体が腐敗する頃、その魂は肉体を離れて美しい端山の頂きに登ると考えられた。端山に登った霊は、残してきた家族を山頂から見守る。時が経過すると、さらに奥の「深山」に昇り、そして天に行くと信じられた。天に昇った祖霊は、正月やお彼岸、お盆に深山から端山、端山から家へと帰り、死者と生者は永遠に関わり続けると考える信仰である。


三瀬夏之介(Natsunosuke Mise)

1973年奈良県生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。修士。既存の日本画の枠にとらわれない、多様なモチーフや素材、時にはコラージュを施した作品の圧倒的な表現力が高い評価を得ている。トリエンナーレ豊橋 星野眞吾賞(2002)、五島記念文化財団 美術新人賞(2006)、第16回VOCA賞(2009)ほか、受賞多数。2013年 個展 N.E.blood 21 三瀬夏之介展 リアス・アーク美術館、日本の絵 三瀬夏之介展 平塚市美術館、2014年 特別展 三瀬夏之介-雨土(あめつち)の記展 浜松市秋野不矩美術館その他、シンポジウムやアーティストインレジデンスに参加するなど、精力的に活動の幅を広げている。


作品データ


07-1-a1~3  三瀬夏之介《日本の絵 ─らせん─》

2020/雲肌麻紙、墨、胡粉/180×270cm(×2点)


07-1-b  三瀬夏之介《千歳》

2009/雲肌麻紙、墨、胡粉、顔料/270×345cm