わたしたちはいつも、
あったかもしれないことと、
なかったかもしれないことの間で生きている
岡崎裕美子+ナオヤ
冬。わたしたちは日本オリンピックミュージアムの前で待ち合わせた。新しい国立競技場を工事用の防音壁の隙間から覗く。全国から集められた木材の軒庇が独特の風合いを生み出しているが、外から見える目立つ部分に対し、基礎工事で使用する木材の多くは東南アジアからの輸入品だという。工事車両が留まっている駐車場には明治天皇の棺が置かれた葬場殿址があり、目印のように植えられた楠が静かにその完成を見守っている。ここ明治神宮外苑と本殿がある内苑は、合わせて神宮の杜と呼ばれている。神宮内苑は明治天皇崩御にともない作られた人工の森で、内苑外苑の造成には山形にゆかりのある三人の人物が関わっているのだ。そんな話を聞きながら御観兵榎を探し、有名な銀杏並木を歩いた。春。オリンピックの延期が決まった。発熱に怯え、マスクを探して彷徨う日々のなかで、あったかもしれないオリンピックと、母になっていたかもしれないわたしについて考える。わたしたちはいつも、あったかもしれないことと、なかったかもしれないことの間で生きている。ふいに、歌が生まれた。
岡崎裕美子
新国立競技場に纏わる、守られている森と守られなかった森、この2つの森の中にどう歌を存在させるかということを考えていた。そんな中、オリンピックの延期が決まる。1年後に開催すると言うけれど、正直、やるべきなのか?とさえ思う。たくさんの約束や予定が消え、手元にはその欠片のようなものが残った。私たちの生活はとても不確かなものの上に存在しているということが浮き彫りになった。岡崎さんから届いた歌は、急に目の前に現れた現実と、あるんだろうなと思っていた現実が同時に存在していた。歌を平面の上に真逆に置き、2つの森の木々のイメージを再構築していく。重力に抗い生きようとする流れは、逆さにするだけで失われていく流れになる。儚いものとして存在させるため、それを水に溶ける薄い紙にプリントした。
ナオヤ
08-2-a1~4 岡崎裕美子+ナオヤ《わたしたちはいつも、あったかもしれないことと、なかったかもしれないことの間で生きている》
岡崎裕美子(Yumiko Okazaki)
1976年山形県東根市生まれ。東京都在住。1999年日本大学芸術学部文芸学科卒業。在学中に「NHK全国短歌大会」にて「若い世代賞」を受賞。同年、短歌結社「未来」に入会し岡井隆に師事。2001年「未来年間賞」受賞。2005年第一歌集『発芽』(ながらみ書房)刊行。「したあとの朝日はだるい自転車に撤去予告の赤紙は揺れ」「体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ」などの歌で注目される。2015年、歌人の山田航による短歌アンソロジー『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)に収録。2017年第二歌集『わたくしが樹木であれば』(青磁社)刊行。この装幀を東根児童館、東根小学校、東根第一中学校で同級だったデザイナー/イラストレーターのナオヤ氏が手掛け、今回のコラボレーションに繋がる。現代歌人協会会員。「未来」編集委員。カルチャースクールで短歌講座の講師もつとめている。
ナオヤ(Naoya)
1976年山形県東根市生まれ。東京都在住。2000年千葉大学工学部工業意匠学科卒業。2000~2003年凸版印刷株式会社勤務。退社後、大学時代の友人と「agasuke」として活動を開始し、ロゴや印刷物の他、見学施設等空間のグラフィック、映像・アニメーションなども手掛ける。2012年頃、鶏の屠殺や牛の解体の工程を描いたイラストをネットに公開したことで一部で話題になる。2013年、渋谷にあるライブハウス7thFLOORの月間予定表のために、ややシュールな世界観のイラストを描き始めたことをきっかけにして、本格的にイラストの仕事も始め、以降、商品パッケージや書籍、雑誌、商業施設などでもイラストを描いている。2017年、幼い頃からの友人である歌人、岡崎裕美子の第二歌集『わたくしが樹木であれば』の装幀を担当し今回の参加につながる。
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